アフォリズム集(No.41~No.50)

なにか一つでも、お気に入りを見つけてもらえれば幸いです。
前回は以下からどうぞ。
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41. タバコを吸う目的。
深呼吸をするためにタバコを吸う人がいる。ため息をつくためにタバコを吸う人もいる。
42. 「偉そうに!」
偉そうに! 私たちはたまりかねてこのように発することがある。裏を返せば、偉い人の言うことを信用する傾向があるということ。言い換えると、偉い人の言うことは真実なんだろう、と考えがちだということ。
43. 認められない。
退屈に耐えられないからギャンブルをしている、と素直に認められない人たちがいる。お金を取り戻せなくなる恐怖からギャンブルから離れられないことを認められない人がいる。
44. 売られているものから。
ある地域にあるスーパーで売られているものが、周辺の住民の人たちの食卓にならぶものを左右している。人々は世界中どこからでも、なんでも好きなものを買って、自由に食事内容を決めているわけではない。おおかたの人は自分のこだわりの食材ではなく、間に合わせのそれで済ませる。その間に合わせのものが、食文化を決めている。
45. 食の意味の剥ぎ取り。
なんとたくさんの栄養補助食品が売られていることか。そして、それが食事の代替になるという「信仰」。あれが足りない、これが足りないとやっているうちに、最後はサプリメント漬けの人間が出来上がる。食の意味を剥ぎ取られた、哀れな人間が。
私は以前、健康食品を販売する会社に事務員として勤務していた。その会社の創業者は、やがて自社の健康食品「しか」口にできなくなり、偏食になり、老いてなくなっていった。さてこの人に、人間的な「食」は残されていたと言えるだろうか?
46. 人間の機械化の一端。
エンジンオイルが古くなったから交換するように、栄養補助食品で足りない栄養を補助すればよいというわけだ。肌の潤いを補うにはビタミンCがあればよく、骨を太く強くするにはカルシウムがあればよい、と。そしてその他の栄養素は一切話題にされない。まるで栄養素は機械か何かの部品であるかのようだ。
47. 接客について。
私自身の経験から言うが、接客業は接客業でも、電話注文やWeb注文に対応するような業務に従事しているときは、からっきし人間に対する興味が湧かないものだ。一方、高校生や大学生、社会人、主婦、外国人に運転を対面で教えている今は、だいぶ人間に対する興味が戻ってきている。顔が見えることの意味は大きい。
以前の職場(化粧品・健康食品の会社)では、同僚に対する興味もあまりなかった。唯一、男性の先輩社員にだけは興味がすこしもてた。彼はいくつかのジャズのビッグバンドに掛け持ちで所属していて、トランぺッターをやっている人だった。
48. 食の論理。
食には論理がある。日本人は緑茶に砂糖を入れない。緑茶と合わせるのがご飯(米食)であり、すでに塩醤油で味付けしてあるからだ。紅茶に砂糖を入れるのはなぜか? 紅茶を甘くするためではない。紅茶に合わせるのがパンやビスケットだからだ。イギリス人は紅茶にビスケットを浸して食べる。
49. 自分を観察する。
この形式で書き始めて気付いた。アフォリズムの要(かなめ)はたしかに観察することにある。ただし、自分の周りの人々を観察することがネタ元になるばかりではなく、自分自身を観察することからも、アフォリズムは生まれる。自分自身が大事なネタ元なのだ。
アフォリズム集をいくつか読むと、教訓や警句だけではなく、著者自身の経験からの反省、自戒、著者自身の弱さの告白なども読み取れる場合がある。そういった文言を見て、いらだつひともいるだろう。そんなものを読んでどうなるんだ、と。ただ、読者をいらだたせたくてアフォリズムを書くのは――書く立場に立ってみればわかるが――幼稚でしかない。決して読者を苛立たせたいわけではないのだ。
50. 古典は永遠ではない。
幾世代にも読み継がれたきた、いわゆる古典作品は、多くの場合、多くの人にとって読むに値する本である可能性が高いだろう。わたしもそのことは否定しない。とはいえ、それら古典が今後も古典であり続ける保証はどこにもない。それがあなたにとって「古典」であるともかぎらない。
どこか古本屋にでも行ってみて、自分の目でたしかめてみるといい。どれだけの「古典」といわれる本たちが、そこに投げ売りされているかを。手垢すらつかずに売られているものもある。最初に買ったその人にとっては、その本は「古典」ではなかったのだ。古典は万人向けのものではない。
古典とは、いったい誰のためのものなのだろう。