舟橋純の控え帖

まずノートだ、そこに見たもの、思ったことのすべてを書き入れる。そののちに分類して秩序づけ書き写せばいい。思考の簿記であって、そうすれば物事の関連性と、そこから生じる解明とが、きちんとした表現を見るだろう。(『リヒテンベルク先生の控え帖』より)。そういうブログです。

寝ながら考える辺境人の文化 ――『日本辺境論』(内田樹)読書録

 

 加藤周一によれば、

 日本人とは、日本人とは何かという問を、頻りに発して倦むことのない国民である。

『日本人とは何か』(加藤周一講談社学術文庫、p.8)

 内田樹も同じ路線で話をすすめる。彼によれば、私たち日本人が、日本論や日本文化論を繰り返すのは、それが宿命だからだという。

 私たちが日本文化とは何か、日本人とはどういう集団なのかについての洞察を組織的に失念するのは、日本文化論に「決定版」を与えず、同一の主題に繰り返し回帰することこそが日本人の宿命だからです。
 日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません(あら、いきなり結論を書いてしまいました)。すぐれた日本文化論は必ずこの回帰性に言及しています。(中略)項そのものには意味がなくて、項と項の関係に意味がある。制度や文物そのものに意味があるのではなくて、ある制度や文物が別のより新しいものに取って代わられるときの変化の仕方に意味がある。より正確に言えば、変化の仕方が変化しないところに意味がある。

『日本辺境論』(内田樹新潮新書、pp.23-24)

 なぜ、同じ問いを繰り返すことになるのだろう。それは、日本文化、ひいては日本人という集団自体が、世界において単独で存在するわけではないからだ。「項と項の関係に意味がある」と引用文中では書かれているけれども、それはつまり、日本文化「と」中国文化、イギリス文化、フランス文化、ドイツ文化、アメリカ文化、……と、日本文化を取り囲む他の文化との関係で、日本文化とは何かが定まってくるということ。日本に何か新しいものがやってくる。古代でいえばそれは漢字だっただろうし、さらにはお茶や漆器もそうだったろう。明治時代になれば洋食なんかもそうだ。日本が結ぶ他国との関係によって、新しいものが入ってきては日本文化を変化させてきた。

 しかしそれなら、他の国も事情は大なり小なり一緒ではなかろうか。独立でどの国とも関係をもたずに存在する国などないのだから。しかしここには日本独特の事情がある。それが、内田の指摘する「辺境性」だ。彼による「辺境人」の定義を引いておく。

 ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。

『日本辺境論』(内田樹新潮新書、p.44)

 政治史の話で言うなら、古代においては、外部にある世界の中心とは中華王朝であった。それが日本にとっての世界の中心だった。なにせ中華王朝のまわりの国々が、方々から朝貢に訪れていたのだから。そういう事情は日本もわかっていた。古代においては、中華王朝に対する自分の位置を考えることで、日本は自国の立ち位置を認識していた。

 十九世紀の帝国主義時代であればそれは西欧列強諸国だったろう。明治維新を経ての猛烈な近代化によって日本はこれらの国に対抗できるまでになったけれども、それも西欧列強諸国と自国との強烈な距離意識があったらこそできたことだったろう。辺境性はここでも発揮されている。

 今だったらアメリカだろうか。トランプ大統領就任以来、アメリカに振り回されているのは必ずしも日本だけではないような気もするが、影響が大きいのは確かだろう。

 政治だけの話ではない。文学や音楽を語るときにも、日本のどこかではない、外部のどこかに「絶対的価値体」を置いて、それとの距離によって文学や音楽を語りがちだ。それが「辺境人」の性格だと、内田は言うのである。インターネットの普及によって、世界中の文物が閲覧可能になった「想像上の美術館」(加藤周一)になって、世界がフラット化したように見えても、それでもたしかに、まだ私たちにはどこかそういうところがあるのかもしれない。

 内田がこの本のネタ元として参照している、梅棹忠夫の『文明の生態史観』においても、その日本人の辺境的意識が以下のように書かれている。

 日本人にも自尊心はあるけれど、その反面、ある種の文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。
 おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうとおもう。

『文明の生態史観』(梅棹忠夫、中公文庫、pp.41-42)

 「自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族」とは、例えば漢民族か。西欧人もおおざっぱにこの括りに入るのかもしれないが、彼らはあくまでギリシャ・ローマ文化を取り入れることで発展することができた人々なので、話は微妙だ。さらにはギリシャ文化にしたところで、エジプト文化の影響は否定できない。今はもうどこに行ったのかわからないけれど、エジプト民族というのがあったのなら、彼らに辺境の意識などなかったにちがいない。

 ともあれ、内田の見方は梅棹のそれと異なるものではない。本人も、この本(=『日本辺境論』)には新しい知見は書かれていないと断っている。とはいえ、彼が見せているのは、もっと楽観的な居直りである。

 私たちに世界標準の制定力がないのは、私たちが発信するメッセージに意味や有用性が不足しているからではありません。「保証人」を外部の上位者につい求めてしまうからです。外部に、「正しさ」を包括的に保証する誰かがいるというのは「弟子」の発想であり、「辺境人」の発想です。そして、それはもう私たちの血肉となっている。どうすることもできない。私はそう思っています。千五百年前からそうなんですから。ですから、私の書いていることは「日本人の悪口」ではありません。この欠点を何とかしろと言っているわけではありません。私が「他国との比較」をしているのは、「よそはこうだが、日本は違う。だから日本をよそに合わせて標準化しよう」という話をするためではありません。私は、こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです。

 なにしろ、こんな国は歴史上、他に類例を見ないのです。それが歴史に登場し、今まで生き延びてきている以上、そこには何か固有の召命があると考えることは可能です。日本を「ふつうの国」にしようと空しく努力するより(どうせ無理なんですから)、こんな変わった国の人間にしかできないことがあるとしたら、それは何かを考える方がいい。その方が私たちだって楽しいし、諸国民にとっても有意義でしょう。

 内田は「日本人の悪口」を言っているわけではない。世界標準の制定力のなさを嘆いているのでもない。むしろ、日本人のその辺境性を推し進めて、そこから何が言えるのかを考えましょう、と提案しているのである。

 本書の「Ⅱ 辺境人の「学び」は効率がいい」においては、武士道に則った学びを打ち出したりしてみていて、それが辺境性を徹底したときに言えることなのかについては正直疑問だが、上に引用した提案についてはぜひとも賛成したいところだ。「われわれにとっての固有の召命は何か」というと、なんだが正座して考えなきゃいけないような気もしてくるが、そう堅苦しいことでもなく、「世界標準」を気にせずに私たちが育んできた文化はなんだろうと考えればいいんじゃなかろうか。それは正座してではなく、寝っ転がりながら読む漫画とかがそうじゃないかなぁ、と思うのだ。

 『寝ながら学べる構造主義』はたしか、彼の作品だったはずだ(大学生のときに読んだ)。だったら、寝ながら考える辺境人の文化があっても、いいはずだ。

 そうですよね?